2024年3月25日月曜日

コーヒーカップの絵ばかりだ。

 パソコンの調子悪くて写真があげられないです。

携帯の機種変更したばかりでよくわからん状態です。

3月14日の恒例のライブ、ありがとうございました。

無事にというよりも、素晴らしいライブがやれたと自負しております。毎年のようにこの時期何が何でもと足を運んでくれるみなさん、久しぶりだから顔でも見に行くか?今回のメンバーは面白そうだ、いろんな思いを持って来てくれていることと思いますが、そのたびの後押しはこの年齢になってさらに力にもなるしモチベーションにもなります。始まる前は来年も行けるか?再来年はどうだろう?とか、ちらっと思いをかすめるのです、それでもこれは自分がうやって来た歴史なのかもしれませんが、ここはどこまでいっても通過点にしかならなくて、未だ嘗て途中という言葉しか出て来ません。自分の足で立って、自分の手でギターを弾いて、自分の喉で歌を歌う。自分の責任という言葉ももうありません。一種の慣性なのだろうと思います。振幅は去年より落ちていくはずです、一昨年よりも振れ幅は小さくなっていくかもしれません、が、それでもついている勢いはそう簡単には止まらないです。時々ブランコを漕ぐようにその慣性に力を加えようともします。それは僕の意気地なので人の目にどう映るかはわからないです。でも、それでいいかなあ、とも思います。


ありがとうございました。ただただ感謝あるのみです。

2月だな、睡眠外来というのに興味があって、それとこのところの若干の不眠お手伝って一度行ってみたいと思っていたところ、思いの外不眠の人は世の中に溢れているみたいで、ひと月以上待たされてようやく診療というものをしてもらいました。

まあおおよその本人の日常生活、習慣、既往症などいろいろ聞かれ、採血してもらい、帰りに無呼吸症、睡眠時の酸素濃度を測る結構物々しい器具と、腰につけるカロリー消費、歩数計などがカウントされる小さな機械を預かって来た。無呼吸測定器は二日間チューブを寝る前に鼻に差し込んで朝まで、二日間。もう一個のカウンターはい一日中24時間装着して3週間ちょっと。

結果から言えば血液も無呼吸も何も問題はなく、一般の数値で釈放。日々正しい生活とリラックス、それと毎日の運動、太陽を浴び健やかに暮らせば今の所改善するはずということだった。いくつか思い当たることはあったので素直にその診断結果には従うこの10日ほど。

一つだけあるとすれば鉄分、体内に貯蓄されるべく鉄分が思いの外少なく、鉄を取ろうということで普段行ってる近所の内科の先生に鉄を賄ってくれる薬をもらう。これが思いの外目に見えて効きます。しばらく飲み続けてその後に改めて血液検査をしてもらうことで今の所一件落着。これで解決つけばデータ的にはほぼ全域許容値内になる。

それにしてもこの3ヶ月病院祭りだった。まあ、行ける時に入っておきなさい、っつうことなんだろうな。


4月から5月にかけてライブやコンサートで結構詰まってくる。いいタイミングだった。

4月は21日(日)、弟子屈 喫茶あい、1997年2月 佐々木幸男 弟子屈実行委員会が27年ぶりに感激もののライブを企画してくれました。

4月27日(土)、旭川 アーリータイムズ、野澤さんいなくなってのアーリータイムズです。アーリー存続の縁はまだあり続けます。

5月11日、バック イン タウン、ここも安井さん、小川さんの円が続いています。東京の皆さん7ヶ月が過ぎましたが変わらず元気で暮らしていますか?春ももう通り越していますね。

5月17日(金)札幌、道新ホール コッキーコンサート、去年東京でやったコッキーポップコンサートを地元札幌で行います。出演者は鈴木一平、高木麻早、因幡晃、庄野真代

5月25日(土)稚内、エビナイベントホール、4年前コロナで中止になった稚内のエビナイベントホール、蛯名マスジ、摩守俊のSENOをゲストにやります。

6月1日(土)札幌、道新ホール ありがとう道新ホール、最後の道新ホールになります。デビュー前、デビューしてから、本当に思い出深いホールがまた一つ無くなります。北海道チームでやらせてもらいます。山木康世、みのや雅彦、手風琴、工藤忠幸

6月8日(土)札幌、円山夜想 デビューして何年?48年になります。あと2年でいよいよ区切りのいい年月になります。元気にやって来ました。どうぞよろしくお願いします。

7月7日(日)旭川、コジャック、この数年武田君の店コジャックの開店記念に付き合わされてます。ブーフーウーからの付き合い、これから先もお互い倒れるまでの誼みで生きていこう。長い付き合いになったね。今回も去年と同じロケット姉妹との共演です。

今日も寝入りそうな春の気配です。不眠ともおさらばか?

長いことの無沙汰、相済みません。

タイトルはまだ写真が載せられる頃にそろそろ書かなければと思い、コーヒーカップの写真を載せようと思った時につけたもので、ようやく今日ここにアップできました。

コーヒーカップはどこにもありませんので悪しからず。


2024年1月26日金曜日

本当にお前は偉いなあ。


 動物管理センターのケージの中で62番という背番号つけて、ふんぞり返って僕が指名するのを確信していた姿が一番記憶のなかに残っている。

ほっぺたが可愛くなく、僕みたいにこけていて、目にやたら力が有り余っていた。

17年になんなんとする共同生活は穏やかなもので、気性も静かで猫のくせに人に気を使い、無茶な要求や乱暴な振る舞いもなく、時々何か気に触ると通りすがりに腕に噛み付く。

大概は寝ているか、ソファーによじ登って来て人の胸の上で収まりかえるが日常。

人間も日々暮らすとものが増える、松も長い時間生きていくと同じように自分のものが増える。

そしてしばらく、飼い主はその暮らしの痕跡をあっちこちで目にすることになる。

すぽ太郎の時もそうだったけど、いなくなると部屋の温度が下がるということをはっきりと知覚する

猫は毎日家にいて、その間寝ている時も起きている時も息を吐き息を吸う。

僕らは気がつかない、その生きている息が部屋の温度や空気を変え、上げていることに。外から家に帰ってくると感じたことのない空気が部屋を変えている。

松は物持ちだった、爪とぎ4個、しまむらホイホイ(島村で買った中が空洞になっている布製綿入れ)3個、キャットタワー、外が見られる窓ガラスに貼り付ける半ベッド、トイレ、給水器、水の皿2個、ごはん茶碗2個、毛梳きブラシ3個、ドライフード2袋、チャオチュール等々、まだたくさんある。

今回は最後の最後まで見届けた。心臓が止まる音も手のひらで感じた。

本当に偉かった。猫のくせに。

よく見ろよ!と松に言われた。こうやって死ぬんだお前も、いいか!


1月11日、木曜日。

ぼくが尿路菅結石で退院した二日後に逝ってしまった。


2023年12月2日土曜日

12月は普通はやさでやって来た。


 この歌うという仕事に携わって早47年になろうとしていて、渋谷のエピキュラススタジオで初めてのレコーディングが東京への道が開いた渋谷もまだ雑然としながら、まだひっそりと人が住んでいる実態がまだあった。

人が歌うとそこには聴いてくれる人が現れ、時々励ましてくれる人もいて、過激な人はライブの感想などを容赦なく感想を述べる人も出てくる、おおよその人は胸の中に数多くの感想を持ちながらも容認してくれる。時として客と演者という関係性がわからなくなりお互いに何を求めているかすらわからないまま遠ざかる人は去っていき、それでも奇跡的にそこを通り抜けて長い付き合いが始まる人たちがいる。奇跡という言葉を使ったけれど47年間という時間の中で自分のこの仕事を続けるにはその言葉がないと説明がつかなくなることが多々あった。そのことに期待をするのはこっち側で、客、聴衆はそんなことはおそらく斟酌したことはないだろうし考えもしなかったかもしれないけど、ゆっくりと考えると僕ら演者はそのことをどこかで夢見ている。

時が経ち僕らは少しずつ年を取ってゆく。時代も少しずつ変わってゆき、自分たちが若者とか青春という時間から緩やかに逸れていく、そのことは別にどうということはない、言ってみればメインディッシュを終え、さてケーキでも食べようかという頃合い。楽しいことはまだ残っている。むしろ余裕さえあるかもしれない。

この僕のブログを覗きに来てくれるみなさんはおそらく間違いなく僕のことは知っているし、ある程度乱暴なことや横暴なこと、鼻持ちならないこと、間違った見識、を書き散らそうが誰も馬鹿野郎という人はいないと思います。長いことコンサートやライブ、それに準ずるもので顔を合わせている人たち。長い時間一緒に時間を作って来てくれた盟友、仲間、友人、その他諸々の共犯の方々。ありがとう。

今年ももうひと月で今年が終わります。もう、一年が早くってつ言葉もやめようと思います、その感覚にもなれたので、時間は僕達を待ってくれないし、思いの外せっかちなやつだからそのまま認め、話題にしないことにしました。

本当に長い付き合いにないますがこれからも続くことを願ってやみません。

長い間本当にお世話になりました、そしていつも力をもらいました。50年目もお祝いに付き合ってもらいかったですが、とりあえずそこを目指して歌い続けるつもりです。

僕は今日も元気です。

みんなもくれぐれも健康に注意してね。


2023年10月25日水曜日

10月はたそがれの国、入り口はここだったな。




 10月1日、バック イン タウン、ロケット姉妹との合体ライブ。

もうひと月前のことであまり詳しいことは覚えていないけど、初めての東京でのライブ。

このブログやfacebookなどでは知っていたことと思うけど、実際目にするのは初めてだったと思います。札幌では結構数多くやって来てるんだけど東京初披露、終わってからの感想が良かった、素晴らしかったということを聞いてはるばるやって来てただただ、良かったと一同思っていました。ロケットも結成してもう10年は経っていて、ますます円熟期に入っているのが最近とみに感じます。ゆきちゃんの豊かなアコーディオンの表情と演奏の時の顔、マルカートというソロでの実績、揺るぎない自信みたいなものが溢れていて素晴らしかったです。それと扇柳トールの人当たりがいいというか穏やかな春の日陰みたいな、神経質な、時には放心したような、いつフェントかけられても対応するぞ的な用心深さも兼ね備えた演奏形態は哲学的でもあります。ロケット姉妹を推そう!

機会があったら、また東京やりたいと思いますのでパート2を期待していてください。合同演奏はいつもどんな問いでも楽しいいです。



細坪君の50周年記念は息長く、自信と信念とたくさんのプレッシャーをはねのけ、自分の声を信じてここまでたどり着いた一つの区切りとして行われている。ふきのとうの時代よりもさらに長く、ひたすら一人でここまでたどり着いた50年。ふきのとうの頃は札幌の音楽シーンの後輩というしがらみみたいなものがあったかもしれないが、細坪基佳になって、もう誰に気兼ねすることなく細坪街道まっしぐら、厳密にいうと自分の方がこの世界では「細坪さん」という先輩になる。この写真を見てもこの道をひた走って来た先輩、細坪基佳さん、50年お疲れさんです。あとを追いかけて行きます。怪我や病気もせいぜい骨折で収めてくださいな。何と言ってもふきのとうは北海道の先駆け、先駆者だから。長生きしてください。いつか誰かに言って見たかった言葉だす。


アンコールで五十嵐浩晃君がう値に来ていて、出番待ちの時に新曲を披露してくれている時の写真です。なんか楽しそうなので載せました。相変わらず毎日の演奏のルーティーンを欠かさずやっている五十嵐君はこのところ鑑です。五十嵐にも書いておこうっと、長生きしてください。


下に11月と12月の告知を貼っておきます。雨に敗れかけた〜 街角のポスターに〜


11月4日(土)。佐々木・倉橋・みのやジョイントコンサート。

久しぶりの紋別で、久しぶりのみのや君、ルイ子ちゃん。それにしても北海道のミュージシャンしぶとく歌ってる、なんか小さい頃から知ってるな仲間みたいになってきました。

11月10日(金)LOGライブ、久しぶりのLOGでのソロライブです。

11月23日(木)星の瞬く夜に 〜第二夜〜 カバー主体の若者ユニットに参加

12月9日(土)旭川 佐々木幸男ライブ &(アンド)12周年記念











2023年8月21日月曜日

2023年のセプテンバー




 今日も今日とて朝から30度超えている。

もう2週間以上か3週間毎日毎日30度超えている、寒いより暑い方が好きだと世間に向けていってたけど、さすがにこれはないな。眠るのも大変だし、3時間くらいの睡眠が続いていいていい加減ヘトヘトになってきた。まだ気合が少し残っているから夏バテの症状は出てきてないけど、降参しようかな、白旗あげて何もしないでぐったりしようかな、とさえ思えてくる。

札幌ももうクーラー必要なのかもなあ。この3、4年に買っておかないとそのあとはさらに茹って生きていけない土地になるかもしれないし、東京や大阪、本州の状況を見てるとシャレになんないところに来ていそうな気がする。太陽と地球の話し合いだから我々が口挟めるところはどこにもない、このまま気温のメモリがズルズル上がり続け日本の人はじわじわと北に向かい始める、北の土地の値段がどんどん上がって、本州は砂漠に変わる。安いSFが結構早く見られるのかもしれない。

いづみちゃんから9月のアレンジが上がって来て個人練習に入っている。窓開けて大きな声でやりたいんだけど、隣近所にむやみに聴かせられない。僕が何をしているかは薄々知ってるみたいなのでうっかり聞かれ、各家庭で点数つけるという行為を避けるためにも完全に戸を閉めてやる。それがこの気候、4、5曲歌うと簡単に汗まみれになる、古いマーチンを引こうものなら塗装の隙間から汗がギターの側板を伝い、体の塩分が塗膜のようになかなかの模様になる。コンサート別に9月じゃなくてもいいんじゃないか、10月に伸ばしても問題があるように思われ、タイトルも別に「セプテンバー・・・」じゃなくてもいいし「オクトーバー ソング」「ノーベンバー、もう直ぐ12月」でもいいんじゃないかとさえ思える。


「セプテンバー ヴァレンタイン コンサート」を迎える頃にはまた一年年取って73歳になっている。この秋のシリーズは始まった時はあまり思わなかったんだけど、何年か前から誕生日迎えて最初のライブがこれ、ふと去年の自分の状態や体調、メンタリティ、世の中や人との関わり方の変化などを自問してみると明らかにその変化がはっきりわかる。

劣化しているとかそういうことじゃなく、気のせいも含めて動いている感覚がある。フォーカス癖がついたのか、フォーカスしないとものが見えなくなったのかはわからないけど、ある意味はっきりと違いが見える。

一年ぶりに会える人がたくさんる。久しぶりに会えるのはとても嬉しいし、僕は昔よりその嬉しさを顔で表現できるようになった。抜かしの僕は仏頂面がいつもとは言わないがかなりの時間を怖い顔で過ごしていたらしい。本人にはその感覚はない、いつも明るく、愛想も良く、人付き合いも良いと思っていたのだから感覚なんかいい加減なものだ。一緒にやるメンバーでも一年ぶりの人がいる、嬉しい。このコンサートにしか来ない人がいる、それも嬉しいし。ふと気がついてやって来る人もいる、それだってとても嬉しい。人は少しずつ疎遠になっていく、人は意識しないと会えない。自分たちが生きていたある時代、濃密な時代にひっきりなしにいた人たち、そういう人達に唐突に出会う、それだって本当に嬉しい。ただひたすら優しい気持ちだけを持って会えるならばそれに越したことはないな。

今メールが来た。

とーるからのメールで今やっているロケットとの競合作品のミックス音源が来た。これはコンサートとは関係なく、別の楽しみ。昨日第1稿がやって来て、大筋では正解だと思うんだけど、イントロからAメロに入るところでギターが2本になってるんだけどもう少し空間が欲しいのでいづみちゃんのエレピを軸にアコギ1本で進んで欲しいとオーダーを出したものの返信メール。今これを書いているのでまだメールは開いていない。と言ってるももなく第3稿が来た。とーるもクーラーのない自分の部屋で窓を閉め切りミックスやってる。気の毒だけど偉いなあ。

13時15分、いまひとつギター弾く気にならない。30度。ぶどうアイスとアイスモナカあるんだ。

2023年8月6日日曜日

何か変わったところはどこでしょう?


 暑中お見舞いなりー。

7月9日、武田君のところ、「CO-JACK」でのwithロケット姉妹との周年記念ライブが終わってもうひと月。こんなに暑い夏が続いている。

ロケットの二人はいつも淡々と品位を保ちながら時間の間を涼しげに通過していくように見える。アコーディオンが鳴り、ギターが後についていき、その説明をするように言葉とメロディがふわふわ飛び交う。それぞれが普段やっているステージはみんながみんな違う。本来、主義主張、趣味嗜好、作る和声、抑揚を整理整頓して人前に挙げる。一朝一夕には整うわけがない二つの塊が強調しようとして折り合い、へし合い、音楽の道徳の中で組み合う。

かれこれ半年以上ロケットとスタジオで音を録っている。

合わせようという気持ちと、それだけじゃつまらないから外にはみ出よう、いつもとは同じにならないものを生み出したい、相乗効果になるか逆効果になるか、たかだか3人の人数でも人は一人としていきている、微妙な危険因子を孕んでスタジオは進んでいる。それと自分たちは幾分歳をとり、優しくなってもいるし、頑固にもなっている、20歳の頃の温度を未だ持ち越していたら早々に空中分解して、ここで遭ったが100年目、うどん粉のはな、になってるかもしれない。僕らは普段どれだけ力みかえっていきて生きているのかがわかる。たくさんの音楽や生活や、知識、日常の澱みたいなものを時々駆虫に漂わせながら録音が進む。これが楽しくないわけはない。先週からいづみちゃんもピアノで参戦。ピアノのソロを1曲と歌が入っているもの2曲付き合ってもらった。これが普段のタッチと全くと言っていいくらい違っていて素晴らしかった。みんな本当に自分の姿の30パーセントくらいしか晒さないでやりくりしているんだってつくづく思い知らされた。そのことは楽しいし素敵な発見だね。もう少しで音楽録りは終わる。ナレーション原稿は書き直しも含めてなかなか進まなかったけれど、ようやくここに行くならばというところに合流できた。



大通り公園でビール祭りが開催中。僕は昼日中からビール飲んでありがたくなりたいなあ、と思い続けて何十年、飲んだ片っ端から顔に出る体質で、アルコール飲酒メーターみたいにどのくらい飲んだかが顔の色でわかるくらい、夜の暗い店以外ではおいそれとは飲めない。高校生の時にウイスキーを初めて飲んだ時に、この兆候があり、一生こんな顔で大人になるんだと覚悟はできていた。周りはとにかく下戸というのがいない世界。誰もかれもが大兄酒呑童子に退治されればいいのにというくらいウワバミだらけの環境。ずっと肩身の狭い思いをして来た。今だって狭いには狭いんだけど、別に酒飲めたからって賞金が出るわけでも、ドラゴンの鎧がもらえるわけでもないし、健康になるわけでもないと思えるようになったからいいんだけど、忸怩たるものはある。悔しい、酒飲んで管巻いて、愚痴言って、人の悪口散々言って、朝起きたら覚えていない人になりたかった。10のお願いを神様が聞いてくれたら9番目くらいに酒が飲める男になりたいを入れとこうと思う。

後の写真はこんなことを書くために書いたんじゃなく、ビール祭りが始まる少し前、大通り公園のベンチに歩き疲れたので座っていたら、鳩が近づいて来てベンチの周りをぐるぐる回る。よく見ると片足でぴょんぴょん飛びながら地べたに落ちているかもしれない食い物を探しているように見えた。「片足の鳩かあ、この競争の激しい大通り公園の片隅で餌を探す日々は大変だろうに、こんなにきちんと太っているところを見るとさぞや餌探しがうまいか、どこかに秘密の餌場でもあるのか、どうなんだろう?」と思い、珍しいから写真でも撮ろうかと思い携帯を向けても逃げる気配もない。ぴょんぴょん、本当に器用にあっちこっち移動する、ベンチの背もたれにのぼったり、飛び降りて花壇のレンガに飛び移ったり、足元によって来たりと頻繁に動き回る、まあ、もともとあまりじっとして余裕かましている鳥ではないんだけどめまぐるしく動き回る。突然、2本の足で歩き始めた。どういうわけかはわからないけど、あいつは足をカラスや猫に食いちぎられたわけじゃなく、「もう、今日はこれくらいでいいか」という感じでヒョコヒョコ歩いて地面漁りを続ける。ビール祭りのはなしからここにたどり着くまで結構書いたけど、知ってるけど大した話じゃない。まして普段まともに書いていないここに書くことでもないと思うんだけど、携帯の写真を見たらつい、出来心で。すみません。



9月14日、ふきのとうホールでのセプテンバーセプテンバーヴァレンタインコンサート、まで40日となりました。

コロナは相変わらず世の中の低音域担当みたいにのたうってますが、人々の生きて行く、自分の人生、コロナの顔を窺って息するのは本意ではないと決心した人も相当数います。今年、上半期歌っててそのことを一番強く感じ、揺れない木があったら揺すってでも盛り上がってやる(変な例えだけど)決起盛んなものを煽りとしてもらった。

14日がどういう日になるかは蓋を開けて見なければわからないですが、去年の一年と今年の一年には明らかに違うものがあります。時間、が日々、年々大きくなっていきます。日常そのことを意識するかといえばそんなことはないのですが、時間は物理ではなく宗教の領域に突入しているような気さえします。

上の写真は去年の僕らの瞬間です。

何か変わったところがありますさてどこでしょう?という謎解きかもしれません。

ぜひそれを見においでください。

2023年6月29日木曜日

そいで、ライブを粛々とやるっつうのはどうですか?



7/9(日)佐々木幸男withロケット姉妹ライブ@Co-Jack 旭川 sold outd

 武田君のCo-Jackがオープンして8年になる。コロナも凌ぎきってこれからまた通常に戻るだろうを願って、去年に引き続き行って来ます。「旭川に飲みに来ませんか?そいで、ライブを粛々とやるっつうのはどうですか?」武田君の誘い文句。ライブにはそれぞれのスタイルがあっていいと思う。

小樽でやった「ありがとう」での扇柳、深川セット。旧「一匹長屋」、長いことやって来た下村さんとの本当にお世話になり、ありがとうの気持ちもあったライブ。付き合ってくれたお客さんも同じ気持ちの中で進んだ時間、僕らにはこういうこともこれから多々あるんだという確認も含めての共有感。少しずつライブが本当にリアルな日々の時間からの脱却、長いこと、同じ時間、同じ空間、同じ記憶を足してみると、もう写真のように止まった映像じゃなく映像にまでなってるのが素晴らしい。

「星の瞬く夜に」マスジがこれから続けていくだろうライブの1回目の歌い手として参加した。あえて歌い手と書いたのは自分が歌い手として、意識しながら歌うことをアプローチした所以なので。ジュリーの「時の過ぎゆくまま」を奥山君が選んでくれた。好きで歌う歌は体に入っている年季が違う。自分が書けないことを歌わせてくれる快感があった。そしてたくさんの好きな歌があることに改めて教えてもらった気がする。それと職業作家が書くものの見事なフォルムを本当に実感した。もし質問することが可能なら、聞きたいことがふんだんにあることも知った。

僕は毎日歌ってる。

昔は歌う日がなくても本を読んでいた。今、その昔読んだ本を改めて読み返している。もう新しい本は要らない。「白痴」から「罪と罰」、あいだに今読まれている本を挟み、「嵐が丘」がこんなに重量感があり楽しい読み物だったって思ってなかった若い頃の自分の活字を読むのが趣味だった時代をしみじみ思う感覚。ディケンズの「二都物語」10日前に読了。古い本だから話も古いんだけど、作家の力というのは古い新しいは関係なくただただ感心するだけ。今週は田中小実昌「ひるは映画館、よるは酒」、タイトル通りの内容でもう遭遇することのない映画館とそこで上映されていた映画の数々、こんなに楽しい日々を送っていた人が世の中にたくさんいたというだけでも嬉しくなる。次は「白鯨」かうウェルズ。

僕は毎日歌ってる。

本を読むみたいに毎日隙をみては歌ってる。体がどういう風に歌を変えていくのかがよくわかる。今までのアプローチから少し変えていくのかもしれない。腕をぐるぐる回しても可動域が小さくなっていくように声帯も使えるところと、そこはどうなんだろう?そこの足りない文をこっちから持って来て、あっちに割り振りし、録音を録ってみて全体を見渡したり、なんだか考えようによっては愉しい。毎日歌っていて思ったことは、まだ拗れているものは何もない。それともう人と比べてどうの、ということにも何も意味はないということがよくわかった。

久しぶりに雨がザワザワ降ってる。不眠気味の最近には絶好の雨音。もう寝ちゃおうかな。

7月前に書いておかないと思ってパソコンの前に座った。よくわからないけどアリバイ工作という言葉が目の前でチラチラ。何に対するアリバイよ?

上の写真は富良野の六花亭の広々テラスです。

小玉家、梅とじ天ぷらそば、このところの推し。